ふうえいウラ話 10


8号営業−「風適法」前夜<3>

 1985(昭和60)年2月13日、東京・新宿歌舞伎町では午後10時を過ぎた頃から街のネオンが少しずつ消えて、11時にはほとんどの風俗店の看板の灯が消え、あたかも「戒厳令の夜」の様相を呈していました。
 街には客引きの姿もなく、TVカメラとライトを抱えたマスコミ関係者の姿ばかりが目立ち、マイクを持ったレポーターも拍子抜けした表情で、深夜0時になるのを待っていました。この日が「新風営法(風適法)」の施行日でした。
 新しい法律ではゲームセンターも風俗営業の仲間入りをし、毎日朝まで営業していた繁華街のゲームセンターも、深夜0時をもって閉店することになりました。
 それまでゲームセンターで夜を明かしていた若者たちは、いったいどこへ行ったのでしょうか?ディスコでしょうか?
 いいえ、ディスコも風俗営業1号か3号の適用を受け、午前0時には閉店しなければならず、ディスコに対してもたびたび警察の取り締まりが実施されていました。
 それでも若者は新しい遊び場を見付けてくるものです。
 新しい風適法では、新たにゲームセンターを許可の対象にしましたが、バッティングセンター、ボウリング場、ビリヤード場、カラオケボックス、映画館などは規制の対象になりませんでした。ゲームセンターから追い出された若者たちは、そういった規制対象外の施設で朝を迎えることになったわけです。
 バッティングセンターにもボウリング場にも、ゲーム機は設置されていました。しかし、そういう施設の場合、面積要件によっては風俗営業第8号の許可の取得が必要ないという「法の抜け道」があったのです。
 繁華街の経営者も、指をくわえて新しい法律を見ているばかりでなく、新しい業種を考え出してきました。その一つが「プールバー」です。
 それまでの東京のビリヤード場は「四つ球」や「スリークッション」といったビリヤード台が主流でしたが、それを「ポケット台」に入れ替え、内装を豪華にし、カクテル類などのアルコールを置くことによって、よりファッショナブルな「プールバー」に生まれ変わり、それが若者たちの間で大流行することになります。もちろん、風適法の規制対象外の営業として、夜通しの営業が売り物でした。
 このように、若者たちの遊びの追求と、それに対する法律の規制は、いつも、いたちごっこの側面を持っているようです。





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