ふうえいウラ話 8


8号営業−「風適法」前夜<1>

   先日、CSKグループの総帥、大川功氏が亡くなり、莫大な財産がセガに提供されたという報道を目にされたと思います。
 今や巨大な企業に成長したセガやタイトー、ナムコ、任天堂といったゲーム関連会社は、昭和59年改正のいわゆる「新風営法=風適法」の適用を受けてゲームセンターが「第8号営業」として規制の対象になったことによって、その存続が危惧された時期がありました。
 あまり知られていませんが、セガやタイトーはもともとジュークボックスやウォッカの販売を目的として外国人起業家がスタートさせた会社です。
 その後、コインゲームなどを手がけ、セガは「潜水艦ゲーム」で当て、タイトーは昭和53年に「スペースインベーダー」を発表し一大ブームを巻き起こしました。
 インベーダーゲームの最盛期には、1日で26億円もの売り上げを記録したとのことです。
 タイトーの社長はユダヤ系のミハイル・コーガン氏で、1代で巨額の富を築き、病に倒れた後、妻子は莫大な財産を相続し、一躍、高額所得者の上位にランクされました。
 インベーダーゲームで業界のトップになったタイトーでしたが、物事のすべてが順調に運んだわけではありません。
 風適法施行後には、ゲームセンターの許可申請に関して警視庁からこっぴどく叱られる事件を起こし、税務署からもにらまれることになり、その事件の結果、株式の上場でセガに遅れをとることになりました。
 一方のセガは、アメリカ人経営者のデイヴィッド・ローゼン氏がゲーム機販売会社の中山隼雄氏を経営陣に迎え入れ、急成長を遂げることになります。
 中山氏は、ユダヤ人兄弟が経営するジュークボックス輸入会社V&Vを皮切りにゲーム業界に参入し、ビンゴゲーム機やメダルゲーム機を販売する会社を設立したり、「ちょっと危ない機械」の販売もしたようです。
 ともあれ、インベーダーゲームは大人から子供までたくさんの人たちを夢中にさせ、繁華街のゲームセンターではピコピコという機械音が夜通し鳴り響き、少年少女の夜遊びが増え、遊ぶ金ほしさの恐喝事件まで発生して社会問題になりました。
 その結果、この問題の解消と「セックス産業」規制を主目的として「風営法の改正」が進むことになります。

(次号へつづく)






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